稚児の墓(稚児塚)



稚児の墓の由来   (大船歴史研究家 石山昌司氏執筆の大船の歴史より引用)
六国見山の南東にある山道を少し歩くと、10m平方ぐらいの平場があり、中央につげの大樹がある、
その脇に宝篋印塔の一部が残された墓がある。 『 相模風土記 』によれば
「六国見ノ南方。山上二アリ。上二石碑ヲ建。半ハ地中二陥入レリ。而二悉雲ノ字仄カニ見ユ。染屋
太郎大夫時忠ガ兒ノ墳ナリト伝フ。」 とあり。
古老の伝えによると、 その昔、油井の長者染屋太郎大夫時忠公の3才の姫が鷲にさらわれ、 その
屍体がこの地に落ちていたのを里人が見つけ、知らせたところ、時忠公はこの地に立派な墓を造り、
その菩提を弔うため里に観音像を造立したという。
今もこの観音像は多聞院に安置されている。・・・・・続く