B甘糟屋敷   宮ノ前(大船2070番台)


 甘糟家が大船に館を構えたのは、室町時代で当時上杉管領に仕えていた甘糟土佐守平朝臣清忠という
人で、当時拝領した上杉家の家紋入りの鞍が保存されています。 相模風土記の大船村の項に「旧家小三
郎。里正ナリ。甘糟を氏トス。先祖ハ上杉家二仕ヘ。一ハ土佐守平朝臣清忠。一ハ備後守平朝臣清長。
一ハ佐渡守平朝臣長俊。等ナリ。長俊ハジメ太郎左衛門ト称セリ。永禄10年(1567)。常楽寺文殊ノ像ヲ修
飾シ。天正7年鎮守熊野社ノ神体ヲ再興セシハ此ノ人ナリ」と記されています。江戸時代には医者を輩出し
ており、 江戸後期には大船村名主となり、 当地では一番の資産家で駅へ行くのに他人の土地を通らずに
行けたと云われています。 先代の準三氏は医者でこの長屋門の一角に病院を開業するかたわら昭和12
年県会議員に当選、 以来10年余りつとめ、昭和25年に他界しました。 また終戦後は小坂小学校の校医
を務めたこともあります。 現当主の小三郎氏は工学博士で甘糟株式会社社長をつとめ、現在90歳、東京
にお住まいです。





 甘糟屋敷の敷地面積は約1000坪ありまして、その横に池と小川が流れてます。 建物は江戸時代の宝永5年(1708)といわれて
おりまして、表側に3室(10畳2室、8畳1室)裏側に3室(納戸8畳2室、茶の間8畳)を置く構成となっています。現在の建物は昭和
60年に再生工事をおこなったもので、屋根を草葺から銅板葺とし300年を経過した柱等はそのまま生かして実施したものです。
尚、建物面積は平屋建て58坪です。