F常楽寺   大船5−8


こちらのお寺は臨済宗建長寺派で山号を粟船山(ぞくせんざん)常楽寺と云い、開山は退耕行勇、開基は
北条泰時です。寺は初め粟船御堂と呼ばれ、泰時公が妻の母供養のため仏堂を建立したのが当寺の開
創となった。泰時公は仁治3年(1242)6月15日に60歳で亡くなり、この粟船御堂に葬られた。その後、孫
に当たる北条時頼が宝時2年(1247)3月、追善供養のため銅鐘を鋳造、 その銘の一文に「足催座禅之空
観寺号常楽」とあるので記録上はじめて常楽寺の寺号と共に坐禅道場となったことが判ります。 この銅鐘
は鎌倉の三名鐘の一つで、現在国の重要文化財となり鎌倉国宝館に陳列されています。またこの年の12
月に中国の僧、蘭渓道隆が北条時頼の招きで常楽寺に入寺し、純宋風の禅が始まり、その後、時頼は鎌
倉の地に一大伽藍を建立して、道隆禅師を開山として迎えようと建長寺を開創しました。 道隆は建長寺移
住後もその住持は常楽寺の住職をも兼ね「常楽寺守護の月番僧象」を定めたとある。




本堂  昭和45年に再建されたもので、仏殿の中央に本尊の釈迦如来像(鎌倉市指定重要文化財)で右側に蘭渓道隆の坐像と乙
     護童子像、左側に地蔵菩薩像が安置されています。


     


仏殿  文殊堂  北条泰時の墓  山門    銀杏樹古木 他