北条泰時の墓、他2墓
北条泰時の墓 もとは山の中腹にあったものを大正15年に鎌倉同人会が大応国師の墓と一緒にここ
に移したものです。
圓通大応国師の墓 この人は、鎌倉時代の高僧で南浦紹明と云われた人で、建長寺13世住持となり1309
年12月29日に建長寺で亡くなり、この寺で荼毘に付したと伝えられています。
再中興龍渕胤和尚の墓 この人は江戸時代の文政から天保にかけての住持で、 当時無住であった寺を
復興した人で、後に建長寺220世となった人です。