H木曽塚  常楽寺裏山墓地  特記:石山先生が郷土の歴史に興味をもった原点がこの木曽塚だったとのことです・・・


木曽冠者義高の墓  この塚は江戸時代にここに移されたもので、元は栄町公園のそばで木曽免といわれ
た田んぼの中にありました。相模風土記によると延宝8年、この田の持主、石井という人が塚を掘ったところ
青磁の壷に泥まみれの格骨がつまったいた。 驚いて常楽寺の和尚に相談すると、それは木曽義高の遺骨
であろう、ということになり寺内に新しく塚を築き、格骨を収め、ねんごろに供養した。これが今に残る木曽塚
である。





碑石  ここにある史跡は大正15年に鎌倉同人会が建碑したものです。
[全文]   義高ハ義仲ノ長子ナリ義仲嘗テ頼朝ノ怨ヲ招キテ兵ヲ受ケ将ニ戦ニ及バントス義高質トシテ鎌倉ニ至リ和漸ク成ル?来
頼朝ノ養フ所トナリ其女ヲ得テ妻トナス後義仲ノ粟津ニ誅セラルルニ及ビ逅レテ入間河原ニ至リ捕ヘラレテ斬ラル、塚ハ元、此ノ地
ノ西南約2町木曽免トイフ田間ニ在リシヲ延宝年中此ニ移ストイフ。 旭将軍ガ痛烈ニシテ豪快ナル短キ生涯ノ余韻ヲ伝ヘテ数奇ノ
運命ニ弄バレシ彼ノ薄命ノ公子ガ首級ハ此ノ処ニ於テ永キ眠ヲ結ベルナリ