G山田東次の墓    おおぞら幼稚園の裏山



山田東次氏の家は今はありませんが、この下の山田さんの隣に住まいがありました。 地誌によると、山田
東次氏は、安政5年(1858)6月21日、当地の山田林之助の長男に生まれ、 明治5年横浜に出て英学を学
び渡航を志したが成らずに帰郷、 鎌倉郡役所に就職する。 明治4年上京、神奈川出身の青年を育成する
ために、民間人が設立した静修館に入り、法政大学の前身である東京法学校を卒業する。 これは第1回
卒業生で、わずか8名だった。卒業後、中央法学会の仕事に関係し、明治19年に「法律応用雑誌」を創刊
し編集責任者になった。 その後、明治23年第1回衆議院議員の選挙で郷里大船村から自由党で立候補
神奈川4区でトップ当選した。 以後、25年、27年の選挙にも当選し、党幹事として活躍したが、明治32年
12月18日鵠沼で病にかかり42歳で死亡した。この墓石の裏側に碑文が刻まれています。